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【ゲイ解放運動の殉教者】ハーヴェイ・ミルク

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はじめに

 

ゲイであることを公表して当選した初のカリフォルニア政治家であるハーヴェイ・ミルク。彼の政治家としての在職期間はわずか11ヶ月。元同僚によりサンフランシスコ市庁舎で暗殺され、政治家期間は短命に終わってしまいました。しかしその短い期間に、彼はアメリカ社会にとても大きな影響を与えました。現在も、"ゲイ解放運動の殉教者"として称えられ、サンフランシスコ国際空港のターミナル(HARVEY MILK TERMINAL 1 (2019))やアメリカ海軍の給油艦(USNS Harvey Milk(2021))等でその名が使われています。そんな彼の生涯や功績、遺言の一部を紹介します。

 

同性愛者が"他者"の権利の為に戦えば、"他者"は同性愛者の権利の戦いで助けとなってくれるだろう。(ハーヴェイ・ミルク)

 

略歴

 

1930年5月22日ユダヤ人の中流家庭に生まれる

14歳の時に同性愛者であることを自覚しますが、周囲には秘密にしていました。

 

1951年ニューヨーク州立大学アルバーニ校を卒業

 

アメリカ海軍に入隊

当初は" 名誉除隊" とされていましたが、実際には、およそ2週間の尋問の後に同性愛者であることが理由で退役させられました。

 

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ウォール街証券アナリストとして勤務

 

プロデューサーとしてブロードウェイのミュージカルに携わる

 

1972年サンフランシスコに移住し、カストロ地区で恋人とカメラ店を経営

ベトナム戦争反戦デモへの参加やゲイ解放運動を展開し、【ゲイコミュニティーの"顔"】として立場を確立させていきました。

 

【落選】1973年・1975年、サンフランシスコ市政執行委員選に出馬

 

【当選】1977年 サンフランシスコ市政執行委員選に出馬

小選挙区制が導入されたことにより、ゲイの権利活動家であるハーヴェイ・ミルクをはじめ、初のフェミニスト議員や初の中国人系アメリカ人議員、初の黒人女性議員等ニューフェイス揃いの結果となりました。

 

白人や権力者、ノン・ゲイ、大金持ちも政治家である私を無視することはできない。サンフランシスコ中で人種が対立し、同性愛者は憎まれている。長い間、私はこの問題と闘ってきた。市政に影響を与える為には少数派や少数民族、ゲイやフェミニスト、一般組合が結束する必要がある。サンフランシスコ市のあらゆる問題を解決することが私の使命である。(ハーヴェイ・ミルク)

 

【暗殺】1978年11月27日 サンフランシスコ市庁舎内でサンフランシスコ市長と共に殺害される(享年48歳)

 

功績

 

彼は住民の立場で公園・学校・警察等あらゆる問題に対処していた。少数派としてのゲイのために、そして他の少数派である障害者・老人のために闘った。(ミルク支持者)

 

【新条例】犬の糞のポイ捨て禁止&罰金化

 

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ニューヨークに倣い、飼い主が犬の糞を処分することを義務づけました。

 

投票機の導入

 

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投票機を導入することで、英語ができず差別されている市民、特に老人が投票しやすくなる。(ハーヴェイ・ミルク)

 

彼が我々中国人コミュニティに聞かなくとも、投票機が必要だと知っていたことに驚き、感動した。(元中国人雇用平等促進会理事長)

 

提案6号反対運動

 

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提案6号:同性愛者及び同性愛者を支持する教師を解雇できる

 

【同性愛者は幼児虐待者である】といったような"嘘"のビラが街中に配られました。

 

提案6号は全ての人々の人権を侵害するものであり、一度差別を認めてしまうと同じことが続く可能性があるので到底許すことはできない。(提案6号反対運動参加者)

 

私たちがいずれ勝利することは、歴史を振り返ってみると分かるはずだよ。(ハーヴェイ・ミルク)

 

投票4ヶ月前の世論調査では賛成派が多数を占めていましたが、地道な反対運動により着実に反対派が増えていき、1978年11月提案6号は【否決】されました。

 

最も大切なのはカムアウトすることだ。難しいことは分かっているよ、でも、家族や親戚に同性愛者であることを伝えてほしい。本当の友達に、近所の人に、職場の同僚に、常連の店員に。そうすれば、同性愛者が実は社会のあらゆる場所にいることを世間に知らせることができる。そしてそれは、デタラメな"一般常識"を社会から叩き出すことにつながるんだよ。(ハーヴェイ・ミルク)

 

暗殺

 

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ハーヴェイ・ミルクの同僚であるダン・ホワイトは仕事に不満を感じていた為一度辞職しましたが、その後辞職の撤回及び復職を市長に求めました。

 

ミルクは復職に反対。しかし、ホワイトを復職させるかどうかの決定権は市長にありました。

 

市長はホワイトの支持団体や弁護士の意見を聞いた上で、別の後任議員を決め、ホワイトを再任しないことに決めました。

 

1978年11月27日10時45分 復職できないと知ったホワイトは市長室へ行き、短い口論の後マスコーニ市長を撃ちました。

 

その後弾を詰め直し、出会ったミルクに対して発砲しました。

 

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無数の人々がカストロ通りをキャンドルライトを掲げながら静かに行進しました。

 

同性愛者も異性愛者も関係なく一緒に行われたこの行進に多くの人々が感銘を受け、また多くの同性愛者はカムアウトするきっかけを得ます。

 

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12月2日  友人たちによってミルクの遺灰が太平洋に撒かれました。

 

裁判

 

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判決:【故殺】7年8ヶ月の禁固刑

 

暗殺から5ヶ月後裁判が始まりました。

 

陪審員の中に社会的マイノリティーやミルクと同じ政治思想の人物はいませんでした。

 

強いプレッシャーを感じていた。(検察が公開したダン・ホワイトの自白テープ)

 

殺害時の場面状況や心情を語ったホワイトの自白テープを聞いて、数人の陪審員が涙を流しました。

 

【金属探知機のある入り口を避けて市庁舎へ入ったこと】、【予備の弾を持ち歩いていたこと】から、ダン・ホワイトは護身用としてではなく殺人の目的で銃を携行し、実行に移した。(検察)

 

金属探知機のある入り口以外から市庁舎へ入るのはよくある入り方であり、警戒心の強い元消防隊員であるホワイトが護身の為に予備の弾を持っていてもおかしくはない。故に、これは「謀殺」ではなく「故殺」である。(弁護人)

 

【故殺(こさつ)】:計画的意図がなく一時的な激情により人を殺すこと。心理状態に問題があった等の理由により情状酌量の対象となる殺人であり、謀殺(ぼうさつ:計画的意図のある殺人)と区別される。

 

【故殺】であるとし、ダン・ホワイトは有罪判決を受けました。

 

【7年8ヶ月の禁固刑】弁護人の要求通りの判決でした。

ホワイト・ナイトの暴動

 

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判決日の夜8時から抗議デモがサンフランシスコ市庁舎の前で行われました。

 

これが"公正な法"なのだろうか。私が公人を殺したら懲役何年の判決を受けるだろうね。(黒人男性)

 

ミルクが殺された夜とうって変わって、パトカーに火がつけられるなどの暴力的なデモとなり160人以上の負傷者がでました。

 

私たちが激しい怒りを抱いている理由は、ミルクが"自由社会"の財産だったからです。(ゲイコミュニティー)

 

もしホワイトがマスコーニ市長だけを殺害していれば終身刑にはなっていたでしょう。悲しいことですが、多くの人々は未だ同性愛者を殺すことが社会のためになると思っています。これはとても恥ずかしいことです。(ミルク支持者)

 

判決後のダン・ホワイト

 

1984年1月7日  5年半の服役を経て仮釈放

 

1985年10月21日 自殺

 

表彰

 

1999年 「タイム誌が選ぶ20世期の100人の英雄」に選出

 

2008年 5月22日を【ハーヴェイ・ミルク・デイ】と規定する法案がカリフォルニア州で可決

 

2009年  大統領自由勲章を授与

 

遺言

 

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「私が暗殺されたらこのテープを公開してほしい。」

 

ミルクは生前より自らが暗殺される危険があることを知っており、死後に再生できるよういくつかの音声テープを残していました。

 

「私のようなゲイの活動家は、"臆病"な人間にとっての格好のターゲットであることはよく分かっている。

 

今までの活動は同性愛者の権利運動の一部であり、自分の事をただの候補者だと思った事はない。

 

もし私の脳に一発の銃弾が入ってくるようなことがあれば、その銃弾は全ての「クローゼットの扉」を破壊するだろう。」

 

クローゼットの扉の破壊=本来のセクシュアリティーを世間に隠して生きている人たちによるカムアウト

 

【社会的弱者が当選することの意義】についてミルクはこう述べています。

 

「この国のどこかで若者が自分がゲイだと自覚し始めたとしよう。

 

両親にバレたら勘当されるし、クラスメイトからは揶揄われる。

 

ゲイの若者の選択は「隠し続ける」か「自殺」だ。

 

ある日新聞に「同性愛者当選」と出る。

 

「カリフォルニアへ行く」新しい選択が生まれる。

 

"仲間"が社会的地位を得たことに勇気が湧いて「残って闘う」選択も生まれるだろう。

 

当選の2日後、若い声の電話を受けた。

 

ペンシルベニア州からの「ありがとう」の声だった。

 

同性愛者が当選すれば、沢山の彼のような子供が明日への希望を持つことができる。

 

同性愛者だけでなく、黒人もアジア人も障害者も老人も希望なしでは生きることを諦めてしまうだろう。

 

あなたが"彼"に希望を与えなければならない。」

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映画

 

THE TIMES OF HARVEY MILK

 

1984年アカデミー最優秀長編記録映画賞を受賞したドキュメンタリー。ゲイを中心として社会的弱者の権利獲得を訴えたサンフランシスコ市政執行委員H・ミルクが、1978年、同じ執行委員だった男に暗殺された事件を中心に、彼の活動の軌跡を追っていく。自らゲイと公言していた彼は、4度目の立候補で執行委員に当選。保守的な人ーから批判されながらも、確実にマイノリティーの支持を得るようになっていく。映画は、当時の記録フィルムや彼を知る人ーへのインタビューを通して、感動的にその姿を浮き彫りにしている。

ハーヴェイ・ミルク|映画情報のぴあ映画生活

 

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------------------------------------------------------------------------ 本ページの情報は2021年11月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにて ご確認ください。 ------------------------------------------------------------------------

 

記事

 

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