【ゲイ解放運動の殉教者】ハーヴェイ・ミルク
はじめに
ゲイであることを公表して当選した初のカリフォルニア政治家であるハーヴェイ・ミルク。彼の政治家としての在職期間はわずか11ヶ月。元同僚によりサンフランシスコ市庁舎で暗殺され、政治家期間は短命に終わってしまいました。しかしその短い期間に、彼はアメリカ社会にとても大きな影響を与えました。現在も、"ゲイ解放運動の殉教者"として称えられ、サンフランシスコ国際空港のターミナル(HARVEY MILK TERMINAL 1 (2019))やアメリカ海軍の給油艦(USNS Harvey Milk(2021))等でその名が使われています。そんな彼の生涯や功績、遺言の一部を紹介します。
略歴
1951年ニューヨーク州立大学アルバーニ校を卒業
アメリカ海軍に入隊
プロデューサーとしてブロードウェイのミュージカルに携わる
1972年サンフランシスコに移住し、カストロ地区で恋人とカメラ店を経営
【落選】1973年・1975年、サンフランシスコ市政執行委員選に出馬
【当選】1977年 サンフランシスコ市政執行委員選に出馬
【暗殺】1978年11月27日 サンフランシスコ市庁舎内でサンフランシスコ市長と共に殺害される(享年48歳)
功績
【新条例】犬の糞のポイ捨て禁止&罰金化
ニューヨークに倣い、飼い主が犬の糞を処分することを義務づけました。
投票機の導入
提案6号反対運動
【同性愛者は幼児虐待者である】といったような"嘘"のビラが街中に配られました。
投票4ヶ月前の世論調査では賛成派が多数を占めていましたが、地道な反対運動により着実に反対派が増えていき、1978年11月提案6号は【否決】されました。
暗殺
ハーヴェイ・ミルクの同僚であるダン・ホワイトは仕事に不満を感じていた為一度辞職しましたが、その後辞職の撤回及び復職を市長に求めました。
ミルクは復職に反対。しかし、ホワイトを復職させるかどうかの決定権は市長にありました。
市長はホワイトの支持団体や弁護士の意見を聞いた上で、別の後任議員を決め、ホワイトを再任しないことに決めました。
1978年11月27日10時45分 復職できないと知ったホワイトは市長室へ行き、短い口論の後マスコーニ市長を撃ちました。
その後弾を詰め直し、出会ったミルクに対して発砲しました。
無数の人々がカストロ通りをキャンドルライトを掲げながら静かに行進しました。
同性愛者も異性愛者も関係なく一緒に行われたこの行進に多くの人々が感銘を受け、また多くの同性愛者はカムアウトするきっかけを得ます。
12月2日 友人たちによってミルクの遺灰が太平洋に撒かれました。
裁判
暗殺から5ヶ月後裁判が始まりました。
陪審員の中に社会的マイノリティーやミルクと同じ政治思想の人物はいませんでした。
殺害時の場面状況や心情を語ったホワイトの自白テープを聞いて、数人の陪審員が涙を流しました。
【故殺】であるとし、ダン・ホワイトは有罪判決を受けました。
【7年8ヶ月の禁固刑】弁護人の要求通りの判決でした。
ホワイト・ナイトの暴動
判決日の夜8時から抗議デモがサンフランシスコ市庁舎の前で行われました。
ミルクが殺された夜とうって変わって、パトカーに火がつけられるなどの暴力的なデモとなり160人以上の負傷者がでました。
判決後のダン・ホワイト
1984年1月7日 5年半の服役を経て仮釈放
1985年10月21日 自殺
表彰
1999年 「タイム誌が選ぶ20世期の100人の英雄」に選出
2008年 5月22日を【ハーヴェイ・ミルク・デイ】と規定する法案がカリフォルニア州で可決
2009年 大統領自由勲章を授与
遺言
ミルクは生前より自らが暗殺される危険があることを知っており、死後に再生できるよういくつかの音声テープを残していました。
今までの活動は同性愛者の権利運動の一部であり、自分の事をただの候補者だと思った事はない。
もし私の脳に一発の銃弾が入ってくるようなことがあれば、その銃弾は全ての「クローゼットの扉」を破壊するだろう。」
【社会的弱者が当選することの意義】についてミルクはこう述べています。
両親にバレたら勘当されるし、クラスメイトからは揶揄われる。
ゲイの若者の選択は「隠し続ける」か「自殺」だ。
ある日新聞に「同性愛者当選」と出る。
「カリフォルニアへ行く」新しい選択が生まれる。
"仲間"が社会的地位を得たことに勇気が湧いて「残って闘う」選択も生まれるだろう。
当選の2日後、若い声の電話を受けた。
ペンシルベニア州からの「ありがとう」の声だった。
同性愛者が当選すれば、沢山の彼のような子供が明日への希望を持つことができる。
同性愛者だけでなく、黒人もアジア人も障害者も老人も希望なしでは生きることを諦めてしまうだろう。
あなたが"彼"に希望を与えなければならない。」
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映画
1984年アカデミー最優秀長編記録映画賞を受賞したドキュメンタリー。ゲイを中心として社会的弱者の権利獲得を訴えたサンフランシスコ市政執行委員H・ミルクが、1978年、同じ執行委員だった男に暗殺された事件を中心に、彼の活動の軌跡を追っていく。自らゲイと公言していた彼は、4度目の立候補で執行委員に当選。保守的な人ーから批判されながらも、確実にマイノリティーの支持を得るようになっていく。映画は、当時の記録フィルムや彼を知る人ーへのインタビューを通して、感動的にその姿を浮き彫りにしている。
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------------------------------------------------------------------------ 本ページの情報は2021年11月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにて ご確認ください。 ------------------------------------------------------------------------
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